今日は、UNKとデルタにおじゃましました。
色んな事を考えてるようで・・・不快な意見の人が一人いました。
俺は熱くTCをやっていきたいので、ああいう人とはつくづく合わないな〜と思いました。

それはともかく、
司馬遼太郎の「燃えよ剣」読み終わりました。
土方歳三すごすぎる。
あの人の一生は、自分の信念というか自分の才能のために生きる道を見出した人だなと思いました。
新撰組にしろ、戊辰戦争時にしても、喧嘩する時には命をかける!
喧嘩の時だけではなく、普通の時も命をかけてるからきっと迫力があるっていうか、どっしりとしてるように見えるのでしょう。
とても俺にはまねができないことです。
自分の生き様を飾るためには、悪にでもなる!
普通、こんな考えできないでしょう。
新撰組結成後のいわゆる大量殺戮も、そんな事に土方歳三はこだわったのではなく、組織体系、組織理念の形成を自分の一つの作品として考えたわけで・・・。
自分の才能を生かせる場所は、白刃の飛び交うところにしかない。というのもすべては自分の才能を熟知しているからであって、それゆえの新撰組であり新撰隊であり五稜郭の擬似新政府なわけです。
江戸末期、明治初期の歴史が大好きで、そこらへんの本を読みあさっているわけですが、やっぱ一番おもしろいというか、惹かれるところは、その時代の信念であり、バイタリティあふれる行動というか、一人の力で何かを成そうって事であり、自分の生き様を高みに置くってところです。
「竜馬が行く」では、いわゆる尊王論者の視点からの小説であり。
「燃えよ剣」では、佐幕論者(もっとも、土方歳三は佐幕とは考えておらず、戦闘の中に自分をおく事に重点をおいたが。)からの視点。
「徳川慶喜」は、中間的な視点。(慶喜は水戸学を学んだ事により尊王主義であるものの、徳川将軍という佐幕の面をも持つ。

三つの視点から見ると、ほんとに誰が正解というのはなくて、やっぱりそこがおもしろかったりするw
時代の流れ、時の運があったのが薩長であり、新政府を作り上げたわけだが、幕府の中にも佐幕開国論者がいたわけで、その人達に引っ張られた今の日本というのもみてみたい気もする。
日本のどの歴史を見ても、はたまた世界の歴史を見ても、戦争に勝利する国には時の味方がついていて、ほんとにラッキーとしかいいようのない戦争もあるわけで・・・。
味方、敵とわず考えかたってのがあるわけで、その答えというのは、必ずしも一つではないのです。
結局、どっちがいいのかな〜ってのを主観的に考えるのが好きなんで、小説よみまくっちゃうんだろ〜な〜w

自己満日記もここまできましたがw土方歳三の生き様には感動しました。
よって、自分でレジを作ることがあったら

「新 撰 組」
「土方歳三のシャウト」
できまりですなw
とりあえず、新撰組隊訓ももちろんつけますw

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